2月の11日もそんな一日でした。

まずこんな画像を11日早朝にSNSに投稿。なんでもない画像を貼る類いのタグです。この画像は2005年の8月22日、家内の郷里・岩手県遠野市に帰省中、実家の前の田んぼで撮った写真でした。
同11日の午後、家内が、何に使うか知りませんが、透けて見えるような薄紙みたいなのないか?と言うので、どこかにあったような気がしたので、滅多に開けない本棚の下の引き出しを探して見ました。

その中には、昔入れたまま放置してある書類とかが入りっぱなしになっています。いつ何のために保存する気になったのか分からぬこんな県立遠野高希望者の学力テスト用紙とか。

こんな岩手日報社主催の遠野中・学力テスト受験票とか。(「履物を風呂敷に包め」とか時代を感じさせる)

あとはこんな遠野中・遠野高の生徒会誌とか。
ともかく、トレーシングペーパーが見つかってそれで目的は果たせたわけですが、お陰で家内は遠野の学生時代の思わぬ思い出の品々に触れたわけでした。

その頃、なんか家内もテレビで、「岩手県遠野からでしたぁ」というナレーションを聞いて画面を見たら、丁度変わってしまい、なんか遠野からの中継でもしていたのか? と思ったことがあったらしく、遠野づいてるなぁ、と感じました。盛岡じゃあるまいし、大谷選手の故郷の花巻でもあるまいし、遠野がそれほど生活に食い込んでくる可能性は微少なはずです。
で、とどめの一発は、夜になってから観ていた山田洋次監督「こんにちは、お母さん」(2023)でした。主演の吉永小百合さんが密やかに思いを寄せている教会の牧師さん(寺尾聰さん)の、聖職者になった経緯を聞いているシーン(上)。
岩手・遠野の田んぼの中に素朴な教会があり、信者が讃美歌を歌っていて、こんな田舎にも神の言葉を聞きたいと思っている人がいるんだなぁ、と感動。出世争いで明け暮れしていた大学教授の世界に別れを告げる決意が出来たというわけです。
牧師は教会の木製椅子の修理をしながら、淡々とそんな話を主人公に聞かせていたのです。

こんな東京の下町・墨田区向島を舞台にした映画なのに、唐突に遠野のお話が飛び出してきたわけです。これはやはり、なんらかの現象が作動して、遠野市の連鎖が起きているんだなぁ、と実感しました。去年の7月に遠野市には行きましたが、それっきりでした。

シンクロニシティ認定としましょう(笑)